2012年07月30日

いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

現地に入っていわて親子体験ボランティアツアー2日目を迎えました。
初日は、衝撃的な陸前高田市、復興に向けて1歩ずつ歩み始めている大船渡市を見て、体感しました。

朝、三陸鉄道盛駅(現在運休中)の駅舎を訪ねました。
ここは、地域づくりサポートネットが連携・協力している「NPO法人夢ネット大船渡」さんが運営している「ふれあい待合室」です。鉄道の再開と駅の活性化を願って運営しています。

いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)


この駅には、三陸鉄道の電車も展示してあり、ここではカラオケ電車(動きませんが・・・)など楽しい企画をしているそうです。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)


朝食は、ここで食べました。食事中にふれあい待合室の中村さんより、三陸鉄道の話やここも津波が来て、電車が動かなくなり、駅員さんたちが押してここまで電車を運んできたなどの話をしてくれました。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

ふれあい待合室では、掲示物た活動のようすが写真などで紹介されています。復興商品も多数販売しており、ここでお土産の品を購入。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

さて、遠野に向かって出発。
途中、国道45号沿いにある大船渡市三陸町の中心地「越喜来(おきらい)地区」を訪ねました。
このまちも津波で多くの被害と犠牲者を出しました。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

浜松市民が美容院再開の支援者を行った「柳本美容室(仮設店舗)」を突然のアポなし訪問。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半) いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

柳本さんは、津波発生時に高台に逃げ、そこから自分の店、自分たちのまちが津波に呑み込まれていくようすを見て、もうダメと思って、生きる希望もなくしたそうです。でも浜松からの支援の話でもう一度がんばろうと勇気をもらったそうです。

この日は、たくさんのお客さんがいました。多くの方の支援で再会できてうれしいと語っていました。
柳本さん、お客さん、突然の訪問たいへん失礼しました。

次に越喜来小学校を見学しました。いまだ震災当時のまま残されています。
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この小学校は、後ろの道路が高く、地震津波発生時に児童が少しでも早く避難できるよう震災直前に避難通路を作ったばかりでした。そのため、子どもたちの命が救われました。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

日頃の防災意識と対策の重要性をまざまざと感じました。

でも、校舎の脇にある体育館を除くと、津波の傷跡がそのままで、子どもたちや親御さんはショックを受けました。
いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

越喜来を後にバスは、釜石方面に向かって出発。

途中、大船渡市吉浜地区を車窓から眼下に眺めました。

この吉浜地区は、奇跡の集落と言われ、伝統的に高台にしか家を建てない地区です。
今回の津波でわずか1名の行方不明者のみ、流失浸水家屋は5軒のみでした。
明治29年の三陸大津波で204名の死者を出す、大きな被害を受けました。
当日の村長は、高台に家を建てるよう指導しました。次の村長も「この道路より下には家を建てるな」と号令して復興にあたったそうです。
そのおかげで昭和8年の昭和三陸津波でも被害は少なく、今回も津波の教訓とその教えを守ることにより”減災”につながりました。

次は、有名な釜石の奇跡と呼ばれる「鵜住居地区」を通りました。このまちも津波でほとんどが被害を受けました。

いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)
中学生が小学生を連れて、裏山に避難し、津波の状況を見ながら自分たちの判断でさらに高台に避難して助かったという地区です。


いわて親子体験ボランティアツアー(2日目・前半)

津波避難3原則に基づく、”防災教育”の成果がいま世界的に注目を浴びています。
※津波避難3原則とは、①想定にとらわれるな、②状況下で最善を尽くせ、③率先避難者たれ、です。

釜石の市街地も復興に向けて徐々に動き出していました。


さて、次はいよいよ遠野へ


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