2012年07月27日
いわて親子体験ボランティアツアー(初日・前半)
7月27日 いわて親子体験ボランティアツアー初日(前半)
22名の親子が浜松駅前、静岡駅前でバスに乗り、一路被災地に。
まず、朝6時宮城県気仙沼市に着きました。
気仙沼の港周辺を見学しました。1000名を超える死者を出した気仙沼市。震災後、1年5か月近く経過し、ガレキはほとんど片づけられています。
地盤沈下で道路をかさ上げして、気仙沼港や復興屋台村などを見学。
その後、津波で港から500mほど離れた陸地に押し流された福島県いわき市の共徳丸。長さ60mの船の大きさにびっくり!この船は解体せずに、震災・復興のモニュメントにするそうだ。
周りは、津波で土台の基礎を残してすべてなくなっていました。
次は、陸前高田市へ
陸前高田市は、市の80%が壊滅し、甚大な被害を受けたまち。
バスを降り、市役所・市民会館を視察しました。
市役所の屋上に避難した方は、助かりましたが、市民会館に避難した方60~70名のうち、助かった方はわずか12名。
地域づくりサポートネットの岩手県スタッフであった高橋舞子さんがかけつけてくれました。
彼女は、今年3月まで大船渡で被災者の支援業務をしていた陸前高田市出身の女性。すでに仙台に移り住んでいましたが、わざわざ来てくれました。
彼女の妹さんも市職員として働いており、この市民会館にいて、津波で流され、はるか先で遺体として発見されたそうです。
彼女は、この教訓を1人でも多くの人に知ってもらいたい、見てもらいたいと語っていました。
そして、市立体育館は、避難地になっていたので70名ほどの人が逃げましたが、わずか3名しか助かりませんでした。
内部はそのままの状態で、言葉を失いました。津波の恐ろしさを実感しました。
さあ、今から農作業ボランティアです。
高田ドライビングスクールの農地でメイクイーン(ジャガイモ)の収穫作業を手伝いました。このボラは、NPO法人遠野山・里・暮らしネットワークの協力で実現しました。
NPO代表の菊池会長にNPOの支援活動の取組み、被災者の自立就業支援の話を聞きました。
岩手県といえども、真夏の暑さはこたえます。子どもたちは、土の中からミミズなどいろいろな虫が出ると怖がって「キャーキャー」と大騒ぎ。それでもたくさんとれました。
ここで採れた野菜は、「道の駅」やけせん復興市に出品されるほか、ドライビングスクールが経営する復興食堂「マイウス」の食材として利用されます。
作業の支援をしていただいた方(女性)は、大船渡で漁業をやっていましたが、震災でいかだや船、加工場が流されていまい、農業の仕事を始めたそうです。
作業を終え、復興食堂「マイウス」で昼食
支配人から、食事の紹介。支配人も震災後は大船渡で炊き出しのボランティアをしていたそうです。
初日後半へつづく
22名の親子が浜松駅前、静岡駅前でバスに乗り、一路被災地に。
まず、朝6時宮城県気仙沼市に着きました。
気仙沼の港周辺を見学しました。1000名を超える死者を出した気仙沼市。震災後、1年5か月近く経過し、ガレキはほとんど片づけられています。
地盤沈下で道路をかさ上げして、気仙沼港や復興屋台村などを見学。
その後、津波で港から500mほど離れた陸地に押し流された福島県いわき市の共徳丸。長さ60mの船の大きさにびっくり!この船は解体せずに、震災・復興のモニュメントにするそうだ。
周りは、津波で土台の基礎を残してすべてなくなっていました。
次は、陸前高田市へ
陸前高田市は、市の80%が壊滅し、甚大な被害を受けたまち。
バスを降り、市役所・市民会館を視察しました。
市役所の屋上に避難した方は、助かりましたが、市民会館に避難した方60~70名のうち、助かった方はわずか12名。
地域づくりサポートネットの岩手県スタッフであった高橋舞子さんがかけつけてくれました。
彼女は、今年3月まで大船渡で被災者の支援業務をしていた陸前高田市出身の女性。すでに仙台に移り住んでいましたが、わざわざ来てくれました。
彼女の妹さんも市職員として働いており、この市民会館にいて、津波で流され、はるか先で遺体として発見されたそうです。
彼女は、この教訓を1人でも多くの人に知ってもらいたい、見てもらいたいと語っていました。
そして、市立体育館は、避難地になっていたので70名ほどの人が逃げましたが、わずか3名しか助かりませんでした。
内部はそのままの状態で、言葉を失いました。津波の恐ろしさを実感しました。
さあ、今から農作業ボランティアです。
高田ドライビングスクールの農地でメイクイーン(ジャガイモ)の収穫作業を手伝いました。このボラは、NPO法人遠野山・里・暮らしネットワークの協力で実現しました。
NPO代表の菊池会長にNPOの支援活動の取組み、被災者の自立就業支援の話を聞きました。
岩手県といえども、真夏の暑さはこたえます。子どもたちは、土の中からミミズなどいろいろな虫が出ると怖がって「キャーキャー」と大騒ぎ。それでもたくさんとれました。
ここで採れた野菜は、「道の駅」やけせん復興市に出品されるほか、ドライビングスクールが経営する復興食堂「マイウス」の食材として利用されます。
作業の支援をしていただいた方(女性)は、大船渡で漁業をやっていましたが、震災でいかだや船、加工場が流されていまい、農業の仕事を始めたそうです。
作業を終え、復興食堂「マイウス」で昼食
支配人から、食事の紹介。支配人も震災後は大船渡で炊き出しのボランティアをしていたそうです。
初日後半へつづく
Posted by T-NET at 21:27│Comments(0)
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