2008年09月03日

新たな公・水窪「現地調査」

新たな公によるコミュニティ創生支援モデル事業「みさくぼ大好き応援団」の仕組みづくりの取り組みで、9月1日に天竜川・浜松市天竜区水窪町に「天竜川・水窪の現地調査」を行いました。
これは、現状確認と10月25日(土)・26(日)に行うモニターツアーの企画と体験プログラムづくりを目的に実施しました。

新たな公・水窪「現地調査」天竜川の河口・遠州灘の海岸侵食が激しい所(馬込川河口西)を視察しました。子供のころ見た砂丘はほとんど消えようとしていました。
以前、ゴミを埋めたところが台風により海岸が侵食され、ゴミが出てきてしい、大問題になったところです。
そこを重機が入って普及工事をしていました。

新たな公・水窪「現地調査」車は天竜川を北上。徐々に緑が多くなり、長年水窪との交流をしていると、距離が短くなったような気がしました。実際に、トンネルが数箇所できて、走りやすくなりました。
秋葉ダムでは、いくつかの場所でダム湖の堆積土砂を浚渫していました。



新たな公・水窪「現地調査」新たな公・水窪「現地調査」









「竜水護森木札」が奉納してあり、水源地である水窪町の『山住神社』を参拝しました。この神社は、こま犬ではなく、山犬が守っています。
かつて、徳川家康が武田信玄に追われて逃げ、山犬を”オオカミ”と思った武田軍は家康をあきらめて退き、家康は命拾いをしたところから山犬となっていることを聞きました。
それから、スーパー林道を走り、野鳥の森に行き、そこからの山々を眺めました。その先は土砂崩れがあり、水窪ダムには、行くことができませんでした。

新たな公・水窪「現地調査」新たな公・水窪「現地調査」









水窪町の最北端で、かつての塩の道を歩き、往時の大変さを感じながら長野県境の「青崩峠」に付きました。武田信玄が腰を下ろした場所、馬で物資を運んだことなど道の歴史に触れました。
しかし、昔は青崩峠から中央構造線が見えていた記憶がありましたが、木が大きくなって、中央構造線を眺めることができませんでした。だたし、青崩の名のとおfり、青い崩れやすい斜面はしっかり見ることができました。

新たな公・水窪「現地調査」新たな公・水窪「現地調査」







青崩峠・塩の道の山中で、Tネットの高木さんが山ビルに刺されて、靴下が血で真っ赤になりました。
靴下の上から刺すなんて驚くべき生きる力です。結局、5人中3人が刺されてしまいました。
最近は、カモシカなどの野生動物に付き、野生動物が餌を求めて里にも出てくるので、山ビルも里にいるようになったそうです。
ワンワン塾の板橋さんが、タバコの火で山ビルを殺していました。
つぶせばいいのにと思ったら、まず火の熱でヒルを体から離してからでないと、そのまま取ると血がたくさん出ると山の知恵を教えてもらいました。結局、高木さんは夜10時過ぎまで血が止まらなかったそうです。

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最後に、この事業の「モデル地区」としている、市有林イロウ園地(通称ワンワン公園)を視察しました。
合併前に水窪町が町有林を園地として散策路や見晴らし台を整備しましたが、維持できなくなり、ここほれワンワン塾が賃借して、市有林を間伐、枝打ち、植樹など山の管理をしてきました。
ワンワン塾の人たちは、林業家ではありませんが、ボランティアで休日管理作業をしています。
旧水窪町の時代には、ワンワン塾の活動費を様々な形で支援していました。しかし、浜松市になってそのような活動の支援はなくなり、自前で作業していますが、できることには限界があると言います。

10月のモニターツアーでは、ここで間伐の実演や玉切体験などをやってもらう予定です。


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